美しいもの

春が来た。この時期に聴く音楽はDAOKOの水星と決まっている。ゆったりなビートに乗せて延々と続くラップ、何よりも不安定な歌声がロンT一枚でも寒さを感じないこの時期の夜の気温とそのままどこにでもいけそうなふわふわした雰囲気にぴったりなのだ。

以前はどの季節が1番好きかと聞かれたら決まって「冬」と答えていたが知らぬ間に春の方がずっと好きになっていた。毎日にのめり込んでいると気づいた頃には過ぎ去ってしまっているすごしやすい暖かさ、環境の変化による刺激、いつまでも続かない一瞬の季節、そんな部分が飽き性の自分にはたまらないんだと思う。ありがちだけど、出会いと別れも。知り合っては消えていった人たちは元気だろうか、気にはなるけど会って話したりしたくはない。一夜を一緒に過ごして別れてそれっきりになった人も、仲良くなったけれど環境が変わって全く合わなくなった人も、いいとこ取りで終わっていることを美しく思う。テンポの速い10巻完結とか、短編小説とか、やけに味のある90分の映画とかみたいに少し物足りないくらいが綺麗な思い出のままでいてくれるのだ。衝動から久々にブログを書いたけど、やっぱり気持ち良い。こうやって自分の感情とか記憶を掘り下げているとやっぱり自分の人生を全部見れるのは自分だけなんだなって当たり前のことを感じる。あの人の顔もあの人としたこともあの日食べたものも言葉も表情も話したかったことも抱いた感情も見たのはこの目で感じたのはこの脳で伝えることも奪われることもできない。この中で、ここで死んでいく。

 

20170407

夏はまだですか BBQはできるかな

やりきれなかったことを 今年はできるかな

お金はたまるかな お金がなくてもできるかな

寺泊に行って 食べたかった浜焼き 今年は叶うかな

ふたりでいれるかな ふたりでいたいとおもえてるかな

 

だれもが

何が恋しくて 何をやり残して 今日も眠い目をこするのかね

イントロの二小節目が好きなバンドに似てる

真っ暗な部屋 俺にしか聞こえないハヌマーン

 

殴り書き

突き刺す1月 中旬 弾丸で帰省 遅めの正月 遅れて帰った地元には地元を出た友達は誰も残っておらず 1人で遅めの正月を設定して帰ったところで周りが正月正月してなかったら全く正月じゃないんだなって思いました ビールも一杯しか飲んでいません 普段家にいる時よりも飲んでいない なんで なんでこんなにチャットモンチーの湯気が似合う季節なのに毎日毎日仕事仕事なんて 私の人生はどこに行ったんだろう なんて呟くようなメンヘラもこのご時世珍しくないですか リストカットもそろそろ死語かなあなんて思う今日この頃 ツイッターでいろんな人の人生を覗いているうちに馬鹿らしくなって来ちゃって。だって楽しい幸せくだらない辛いと思っている自分の人生と同じような人生を送っている人ってたくさんいるんですよ、なんですか別に酔ってないですビール一杯だけですから 傷を舐め合うだけで毎日消費してられるかって 言葉にはできるのみんな やるのが難しいの 給料入ったらちゃんとお酒飲もう

ジターバグ

なかなか張る気になれない新品のギター弦はもう1週間も経ってしまった インスタもTwitterも辞めてしまった友達は急に別の世界へ行ってしまったかのような遠い存在に感じる そんなことないはずなのにな SNSがあれば日常が覗ける みんなの人生が覗ける 適当に眺めているTwitterだけど近況報告みたいな役割を持っていたんだなあ 日常はSNSへ、SNSが日常へ

SNSをやらない友人たちの日常はどこへ ネット上にアカウントを持たない人はまるでこの世に存在していないような気すらする  手の届く範囲にいない、気軽に連絡するのも躊躇ってしまうような 壁の外にいる感覚 要らない妄想 デジタルがアナログを遮る 多忙が他方の繋がりを薄くする 感情は自分の中から出ない なかなか行動に移らない 目には映らない流れに流される 起床朝食仕事に行く帰宅お風呂洗濯夕飯洗い物就寝 生きるために生きている 今日も生きて今日が終わる 楽しい嬉しい悲しい寂しい また今日が終わって、終わって、終わって 止まらない毎日 止まらない日常 変わっても変わらない生きるということ ELLEGARDENを聴いても悲しいだけだ 過去のほうが楽しかっただなんてシャクじゃない 前でも先でもなく今しか生きれないんだから今が1番楽しくありたい のはきっとみんな同じで 笑ったこと思い出してwe 're missing なんて言わないで

 

20161203 

 

豊洲

僕の目に君はちゃんと映っているのでしょうか

ボヤけている気がするよ 

 

20161201 ごめんね