バックアップ

あったかい飲み物を買おう、手を温めたいからペットボトルじゃなくて熱い缶にしよう と思っていたのに無意識にペットボトルのほうじ茶ラテを手にしていた 珍しく日を跨ぐ前にひとりの夜になったからシャワーを浴びて目を覚まして湖の周りを散歩 湯冷めで手がかじかむ 文章の書き方を忘れた というより自分はどんなだったっけ 忘れた 底にいる自分との向き合い方と整理の仕方と自信が近頃全く見えなくなってしまって、近くにいるのはわかるのにはっきりとわからない、あの、今まで霊感あったのに急に幽霊見えなくなったみたいな感じかもしれない。もともと霊感ないけど。頭の中が処理中の物だらけで、たくさんのセーブデータがあるんだけどロードが上手くいかないみたいな そんな感覚 これが1番しっくりきた 大変困ってる きっと何かが変わる瞬間の最中で、変わった部分が旧型にハマらなくなって、IDが変わってしまって、前と同じ気持ちで物を見れなくなって、冒険もできなくなって、朝まで遊ぶより睡眠が大事になって、大したことない用事じゃ人に会う気が起きなくなって、LINEを続けるのも面倒くさくなって、一本電車を逃しても焦らなくなって、人の事を本気で心配できなくなって、日常が作業になって、ひと月が速くなって 変わってからじゃないと気づかない 昔のプレイリストが不意に流れて懐かしいなんて漏らす あんなに聴き込んでいたのに離れた時を思い出せない あいつもあの人もあの子も自分もみんな気に留めないうちにどんどん年をとって知らない街で知らない人間と過ごしていて、それぞれが両手を伸ばして届く範囲の日常を持っていて簡単に会えなくて、それは物理の距離じゃなくて心と時間の距離で、21歳だった同い年のやつらも足腰が重くなって両手で届く範囲の外に出るのを半意図的に避けているような 多分自分も、久しぶり なんて言葉に少し狼狽えている どこにも行けないような気すらしてきて、毎日の楽しみは食事に傾いていく 大人のInstagramほど美味そうな飯で埋まってたりするのは多分そういうことな気がする きっと思いもしないところでもう一生会わない人がいる 少し考えただけでそんな気がする人がたくさん浮かぶ 寂しくなるから真面目に考えたくないけどきっと大人になるということとそれはセット 寂しく悲しく思えるうちが華 人間だからだんだん思い出せなくなる 出会いのやりとりも電車での会話もあの日食べたものもかけた言葉もあの部屋も身長差も毎日更新の下敷きになって勝手に埋もれていく 「最後まで 残るのは 姿だろうか ―それとも 声なのだろうか」というハチクロの真山の言葉、最初に読んだときは両方忘れるわけないって思っていたけれどこの歳になって突き刺さる もうどちらも鮮明に思い出せない人もいる 覚えているのは会話のニュアンスと"居た"ということだけ 

大人になることなんて想像できなかった小学生の頃はもう十数年前で、気づけばあの日の大人をなぞっている 学校の仕組みも社会の仕組みもテレビの仕組みもクリスマスの仕組みも家族の仕組みもわかってしまった ぼくらはただ生きていて、それぞれランダムに転がる無数のボール同士がぶつかるように人と出会って輪をつくって生活していて それだけだけど、それだけに賭けたい 嘆いても環境は変わるし人も変わるけど同じ日を観た事実は変わらない 可能な限り大切に抱いて連れていく だから 先で逢えたらみんなまた笑ってほしい